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広隆寺の弥勒菩薩 [芸術]

大変ご無沙汰しております。

約1年半の間、ブログを休止しておりましたが、再開致します。

以前、飛鳥時代の仏像のご紹介として、

法隆寺及び中宮寺の仏像の紹介をしてまいりましたが、

忘れてならないのが、広隆寺の弥勒菩薩です。

これは京都の太秦(うずまさ)というところにある、

日本最古のお寺に安置されております。


地図(太秦).jpg
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この弥勒菩薩は603年に秦河勝が聖徳太子から賜った仏像とされており、

国宝としても指定第1号の仏像であります。

正式には「木造弥勒菩薩半跏像」と呼びます。

miroku.jpg


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この仏像は中宮寺の弥勒菩薩同様に顔が大きく、

面長であり、板耳で手足が大きくて、

飛鳥仏の特徴をよく現わしています。

また、顔、手と足を強調するために、

他の所を簡素化していることがよく分かります。

像高は123.3センチメートル、

坐高は84.2センチメートル。アカマツ材の一木造で、

今は素地のみとなっておりますが、

当時は金箔で覆われていたとされています。

また、有名なエピソードとして、

昭和35年に京都大学の20歳の学生が弥勒菩薩像に触れ、

像の右手薬指が折れるという事件が起こりました。

その学生曰く「あまりにも美しかったので触れてしまった」とのことでした。

その指は現在復元されています。

https://youtu.be/YRMfCa9MGkc  ← 動画での紹介はこちら

中宮寺の弥勒菩薩 [芸術]

法隆寺の横に中宮寺がありますが、

ここにも飛鳥時代の仏像が安置されています。

お香のために現在では真っ黒になっていますが、

ここの弥勒菩薩は顔が大きく、面長であり、板耳で手足が大きくて、

飛鳥仏の特徴をよく現わしています。

中宮寺1.png

そのお姿はやざしく美人型です。

特に、顔、手と足を強調し、他の所を簡素化しています。

これは朝鮮半島での弥勒菩薩の在り方で、朝鮮系と考えられますが、

上半身は裸ですので、南方系のものが朝鮮半島を通って、

きたのかも知れません。

頭には双鬢があり、これは金堂の天蓋天人像にもありましたが、

垂髪が美しく垂れており、彫刻的にも非常に素晴らしいものです。

中宮寺2.png


一般的に人問が話したり、説得したりするは、

目と手が主な働きをするため、

顔、手や足がよく目に入るように、身体は異常に細く、

顔と手だけが目立つように、

が実に繊細に彫りこんであります。

顔、目や手のおき方が非常に情緒的で、

全体の雰囲気から非常に慈悲深いブッタの世界を象徴しています。

この仏像とロダンの「考える人」とは全然趣が違います。

ロダンの「考える人」は、ただ考えているだけで、

目的がないようにみえますが、

この仏像の思いは世を救う為に仏が思いをこめている=思惟であり、

精神的な意味を持っています。

そういう意味からも、精神的に素晴しい表現力をもつ

日本的な仏像であるといえます。

人間はその人の目を見れば、高貴な人か尊敬できる人か、

気品の高い人かどうかということが分りますが。

この仏像は目を開いておりません。

しかし、その目が見えなくても、

思わず拝みたくなるような慈悲深い雰囲気があり、

この雰囲気だけで人格がとても高い事が分ります。

この仏像を作った作者の心が高いことを物語っており、

拝者の心にそうした雰囲気を感じさせる仏像です。

つまり飛鳥時代の作者はそれほどまでに高い心を持ち、

豊かな想像力や鋭い思考力を持っていたことが分かります。
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法隆寺におけるその他の工芸品 [芸術]

橘夫人厨子

橘夫人厨子1.png

先日の奈良博物館で開かれた白鳳展にも出ていた橘夫人厨子は

法隆寺の宝物館にあります。

玉虫厨子が飛鳥時代のもので厨子全体のバランスがいいのに対し、

この厨子は天平時代のもので、仏像が主体となった為、上の厨子が大きく、

下は小さく、全体のバランスはよくありません。

しかし、仏像は美しく、仏像のうしろに六曲屏風形のバックと

そこに描かれている天女と蓮、及び仏像の下の蓮の池がとてもきれいで、

素晴しい装飾性を持っています。

白鳳展では逗子と仏像、蓮の池がバラバラに展示されて、

見やすかったですが、法隆寺では、背の低いひとは背伸びしないと、

蓮の池は見えにくくなっています。

橘夫人厨子2.png

橘夫人厨子3.png

褪紅(たいこう)錦
これは褪の国(A.D.221~263)で出来た美しい織物です。

赤色があざやかできれいで、1200~1300年前のものですが、

色が大変よく残っています。

日本にはそれまでこれほど色彩的なものはなく、これ以後日本に広まりました。

この色の感覚が、本来中国のものですが、日本に伝統的に伝わっています。

そして、秦河勝を長とする秦一族が京都で広め、後の西陣織となりました。

河勝の菩提寺が京都の広隆寺となっております。

褪紅錦.png

玉虫厨子 [芸術]

法隆寺の宝物館には素晴らしい作品がまだまだあります。

その一つに玉虫厨子があります。

玉虫厨子1.png

これは、飛鳥時代の建築の模型で、飛鳥建築の基本となるものです。

下の台、中の台、屋根のバランスを見ると、下の台が大きく安定し、

下が広い五重塔のバランスと似ています。

また、屋根の線が強く、直線形で、一重の垂木が長く、

屋根の下から木が鉄砲のように異様に強く出ています。

それに、それを支える雲形の肘木がきれいで、奥行が非常に長く、

屋根の上の鴟尾も大きくなっています。

※鴟尾(しび)とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種です。

台座の四面には油と赤、緑、黄、白の絵の具で絵が描かれていますが、

日本最古の絵画で、密陀絵といいます。

正面からみて反対側にかかれた絵は捨身飼虎図と呼ばれ、

釈迦の前世、飢えた虎に対し、服を脱ぎ、飛びおり、自分の身を食ぺざせるという、

時間を異にする三つの事柄を同一画面に三段にし描いた絵です。

玉虫厨子2.png

金銅の透彫の金具の下に、玉虫の青っぽい羽根を敷きつめていて、

金ビカに鍍金された処に玉虫の羽根をおいていたので装飾的に素晴しく、

きれいな明るい荘厳的効果があったと思わます。

蓮弁は飛鳥時代特有の強きが感じられ、格挟間も飛鳥時代のもので、古い形式です。

厨子の中に小さい仏像がありますが、仏像としてはいいのですが、遠いので大変見にくいです。

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法隆寺宝物館の百済観音 [芸術]

百済観音

法隆寺の宝物館には、素晴らしい美術品が多くあります。

その一つとして飛鳥時代の木彫を代表する仏像である百済観音があります。

百済観音1.jpg

救世観音も木彫仏ですが、この百済観音は大分様相がかわっています。

名前からして百済人がつくったと思われますが、

日本の同時代人よりすぐれた感覚の持ち主の作者であることが推測されます。

この仏像の様式は六朝から百済へ仏教が伝り、

朝鮮半島を通って日本に伝えられたもので、

中国の六朝様式で作られた釈迦三尊とは基本的に異なっています。

お顔や目がはっきりと見えませんが、きつい目をしており、

身体が細くスラツとして、足も長く、

体は細いが、手や体の線、足には力強さが有ります。

この力強さは飛鳥時代の仏像の特徴ですが、

身体がほっそりと長い割にバランスよく立たせるために、

足が大きくべったりとして前に出ています。

百済観音2.jpg

また、右手が直角に前に出ており、これも強い感じがします。

このように、直角に腕を曲げているののも飛鳥時代の特徴です。

左手はスラッとして優雅でやさしく、

ほかにはこのような手をした仏像がないので、

飛鳥時代のものとしては特殊であるといえます。

さらに手がかろやかに水瓶を持っており、

この水瓶の形も非常に素晴しいものです。

仏像によってはこのような水瓶を持っているものと

華瓶をもっているものがあります。

水瓶は口が細く、華瓶は囗が太いのが原則ですが、

ほとんど違いはなく後の時代でははっきりしないものが多いようです。

下の台の格挟間は古い形式で、

後で解説する宝物館の玉虫厨子の格挟間と共に飛鳥時代のものです。

ただ、残念なのは拝観する場所が狭く、長身の仏像を真下から見る事になるので、

バランスや作者のねらいが感じとりにくいことです。

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夢殿の救世観音 [芸術]

法隆寺には聖徳太子を供養する堂として、およそ100年後に藤原氏によって建立された夢度がありますが、

その中にずっと秘仏とされていた救世観音が安置されています。

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明治時代に夢殿をあけるように、アメリカの東洋美術史家、哲学者のフェノロサが国に交渉し、その中にあった布をとるとまばゆいばかりの姿を現わしました。

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現存する仏像では最も品格が高く非常に高貴な仏像で、

きれいというよりも神経が研ぎすまされた非常に素晴らしい仏像です。

顔、手、足が大きく、釈迦三尊の本尊より一層強くきびしい顔で、目は杏仁形です。

秘仏で布で巻かれていたので、保存状態が非常によく、実に細部まで神経が行き届いてつくられているのが分ります。

垂髪がピュンと躍り、衣文も左右対称となっていることから神経が研ぎすまざれた事を誇張しています。

10月22日~1122日まで夢殿が開扉されておりましたが、今は見ることができません。

厨子の開く方向で午後からは見にくく、晴れていないと光線が入らないので、

晴れた日の午前中に双限鏡でわずかに見れることができます。

救世観音2.png
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法隆寺の仏像について [芸術]

釈迦三尊像

釈迦三尊.png

金堂の中に釈迦三尊像が安置されています。

これは、飛鳥時代の代表作とも言える仏像がこの釈迦三尊像です。

見た目は壮年の男性像で、思慮分別があり、どっしりとしていて、

頼りがいがあり、雄大で力強い反面、肩がおちています。

特徴としては顔と手が異常に大きく、顔は面長で、

目は杏仁形(あんずの実の形)で、ギョロンと開いていて、鼻も大きいです。

おでこにある白毫の位置が他の時代の仏像と比べる低くくなっています。

この白毫の位置は飛鳥仏が一番低くく(目に近い)なっており、

耳はペタンとしています。

目線はやや下を見ているが、

これは飛鳥時代に仏教を国家宗教としてとり上げたことから、

多くの人々に仏教を知らせるために、

大きな目で多くの人々を見るためであります。

衣の襟が高く立っているのも、これは飛鳥時代の特徴で、

仏教の伝来が中国の六朝から寒い朝鮮半島を通って来たので、

その寒いところの仏像の様式の影響しているためです。

裳が長く広がり、左右対称となっていますが、

確実に日本で作られたと思われる仏像です。

光背の銘文から、623年。止利仏師につくらせた仏像で、

様式からみてもその頃につくらたことは間違いないと思われます。

両脇の脇待の宝冠が山形宝冠で、

これは朝鮮半島の文化の流れによるものです。

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法隆寺の建造物について [芸術]

五重塔以外の建造物についても見てみましょう。

中門と金堂は飛鳥時代の様式で五重塔と同じく軒先が長く、一重垂木となっています。
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 それに比べて廻廊は天平時代のもので、垂木は一重ですが短かく、飛鳥時代の垂木にくらぺ勾配がきつく

いますが、その分、楽につくる事が出来ます。

 また、中門などの柱にみられる中央部のふくらみをエンタシスといい、飛鳥時代の建築の特徴です。

飛鳥時代の木材については、まだ機械なとはありませんから、人間の手でけずられていますが、

この木の色で年代が違い、それによって古さが違うのが分りますが、

科学的な検査では空中の酸素をどれくらい吸ったかとか、炭素の含有量で調べる方法があります。

しかし現在の科学をもってしても誤差が大きいので、はっきりとは結果が出ないようです。

やや古いという事が分る程度で、単に飛鳥の木といっても、

建築のどの部分で使われていたかによって三種類に分けらます。

雨にうたれた木、風にあたった木、

天井の中や裏側にあって風にも雨にもあたらなかった木(中木・内木)の三種で、

雨にうたれた木は木目がうんとえぐられており、

風にあたった木は風に当られた分だけの風化具合となっています。

内木は風も当らないので自然にやせた木になっています。

飛鳥時代の建造物に使われた木と天平時代の建造物に使われた木は材質に大きな差があります。

飛鳥の木は非常に素晴らしいものですが、天平の木はそれほどではありません。

金堂が焼けたり、補修の時などに町の美術商に法隆寺の古材が出ており、

法隆寺の飛鳥の柱と天平の柱とでは価値が倍程ちがいます。

中門(飛鳥時代)の柱の木と廻廊(天平時代)の柱の木の違いを見てみましょう。

確かに、飛鳥時代の中門はよい木を使っており、固くしまっているので、

手で叩いみると音が違います。

年輪が細かく寒い所の木で、節がないため価格についも非常に高ものです。

飛鳥時代は建物の木材として、名木を選んでおり、

天平時代の廻廊の柱と木とは我々が見ても木の目が違う事が分ります。

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法隆寺の建造物について [芸術]

飛鳥時代に建てられた法隆寺は焼け、現存する建造物は天平時代に再建されたもので、

若草伽藍が飛鳥時代の法隆寺の遺構であるという学説がありますが、

薬師寺に代表される自鳳時代の様式や唐招提寺に代表される天平時代の様式とは

まったく違った古い様式で五重塔が建てられている事と、

実際に使われている木材が飛鳥時代の木にしか見えない事から、

日本で一番古い建築様式で飛鳥時代のものであると思われます。

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特に五重塔はバランス、安定感、威厳さ、荘厳さから言って、日本建築の中で最も立派で

一番素晴しい建造物であるといえます。

屋根の先端を結んだ線が最もいい角度で、どっしりして安定感があり、

この線の角度から時代判定する事が出来ます。

屋根の勾配がゆるく、屋根の先端から三分の一の所からゆるやかに上がっており、

この直線形を六朝体といい、中国の六朝時代の様式です。

六朝体の次の時代の様式は唐朝体といい、日本では次の白鳳時代の様式で、

その代表である薬師寺東塔は二分の一からそり上り、曲線的です。

唐朝体では誇張して見せ場を作ろうとしているのに対し、六朝は見せ場をつくろうとしておらず、

飛鳥時代の建築・彫刻・字は六朝体の影響ですべての形がまっすぐで、

非常に力強く、美しい線であるといえます。

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軒先も長く、柱から屋根の先までの距離がうんと長くなっています。

五重塔、中門、金堂はこの飛鳥時代の特徴から、軒先が長くなっていますが、

講堂は藤原時代のものであることから軒先が短かく、

屋根の先端から堊までの距離が大変短かくなっています。

現代の建物ではほとんど軒先がなく、床が低いので大変弱い構造となっています。

ですから、三十年もたつと修理しなければならなくなることがそれを物語っていますね。

法隆寺は千三百年たってもほんのわずかしか修理しておらず、

日本の風土に合わせていかなるものをつくればいいかを考えて作られた建築物の傑作といえます。

垂木(たるき)は一本で長くなっており、この一重垂木で長いのは飛鳥建築の特徴です。

この時代より以降になりますと二重垂木になります。

ですから、法隆寺の講堂は藤原時代のもので、二重垂木となっています。

では何故そのような形になったのでしょうか?

それは、経済的、材料的に長い木を揃えるのが大変であった事、

軒が平らで長いと重みをうけやすい事、

屋根の角度が緩やか(軒が長い)だと雨が流れにくく漏れやすい事、

さらに五重塔は現代の人が考えても、

非常に複雑な構造となっており、技術的にもこのような建造物を作ることが

困難であるために、段々軒が短くなったと考えられます。

初層の屋根め下の裳層モコシは保護の為に後世つけられたものですので、

ないものとして見た方が非常にスカツとして、いいバランスとなります。

同じく狛犬や柱の龍も後世のものですから、取ったほうがきれいに見えます。

肘木(ひじjき)が雲形肘木で古い形式で、千三百年経っているに拘らず、

斗、肘木といった細かい所まできっちりしており、

日本人特有の細かい所にまで行届いた神経の細かさがうかがわれます。

もともと、五重塔は中国から来たものですが、中国に残存する鉄、陶器の塔や、

朝鮮半島の塔とも全く違い、非常に美しいものであると思います。

この五重塔は日本最初の建築分であり、これが日本人が考えた建築の原点になっています。

つまり、美術を勉強する上において、この感覚をよく覚えておく事が大切であるといえましょう。

我々先柤がつくったいいものを見て、覚え、よく知ることが非常に大事で、

この五重塔の形の基本をおさえていれば、

あらゆる日本美術の基本をおきえた事になると言って過言ではないと思います。

つまりこれが日本の美術の出発点なのです。


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法隆寺の建築物について [芸術]

さて、法隆寺の建築物について見ていきましょう。

なんといっても素晴らしいのは五重塔です。

木造建築では世界最古のものですが、それ以上にバランスと六朝形式である直線が美しいのです。

では何故このような塔を聖徳太子は立てたのでしょうか?

それは、仏教を広める上において重要な役目があったからです。

仏教を広めるためには、神道の国であった、日本人を仏教の方に目を向けさせなれればなりません。

そのために、一役買ったのが、この五重塔なのです。
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仏教の宣教を行うのにはまず、皆の目を見張るようなものを作らなければなりません。

平地に高い五重塔を建て、柱などに朱の彩色が施され、金具はピカピカ光るように鍍金されました。

山の上に建てた方が目立ちやすいと思いがちであるが、実際はそうではありません。

明るい空でいくら光らせても、空の方が明るいので目立たないのです。

平地に塔を建て、山の緑色に対して一番目立つ赤色で柱は塗られ、

屋根の上の水煙・九輪は鍍金されピカピカ光っるようにしました。

そうすることによって、今まで見たことのないきれいな金色は荘厳で人の目を引くことになり、

多くの人が興味を持って見るようになりました。


次に、金堂や五重塔の屋根の先に風鐸が下げられ、風が吹くときれいな音をたてました。

法隆寺には三種類の大きさの風鐸があり、五重塔の九輪に9×9=81コの小さな風鐸が、

五重塔の各層の屋根の四方に5×4=20コの中くらいの大きさの風鐸が、

金堂の二層の屋根の四方に2×4=8コの大きな風鐸がつけられました。

大きさの違いから三種類の音色を出し、さらに人々を引きつけました。

しかし現在はよほどの大風でないと舌(ゼッ)が揺れないので鳴らなくなっています。

飛鳥時代には小さな梵鐘はありましたが、鐘は天平時代までありませんでした。

美しい五重塔を見て、きれいな音を聞いて集まってきた人に、人々がそれまでかいだ事のない、

いい香りのする香を立ちこめさせました。

 これによって寺に吸い込まれるようにやって来た人々が、御堂に入ってみると、

金色燦然とした仏像があって吃驚仰天し、その畤僧侶が奥から出てきて、

大いに仏の慈悲を説き、この仏様を信仰すればあなたは救われると説教をし、

人々の心を掴かんだのでした。

次はその五重塔の美術的な要素を勉強しましょう。


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